北海道1990~91年の クロニクル

ÅみなみかぜÅ

2019年08月16日 16:22





今年の 夏は山登りばかりだ。

と、言っても
丹沢とか 奥多摩とか近場の1000~1500m級のばかりだけどね





一人で登るのは危険なことに3年ほどまえから気付いて、

ちょいちょいダンナさんに付き合ってもらっている




晴天ばかりではないけど、真夏の暑い山道を 汗をダクダクかいて 水をゴクゴクのんで身体をいじめぬいて歩くと登頂した時の達成感はひとしお なのだ。(←どMだから)




里山には 野生のキジもめずらしくはない、丹沢でも 鹿とかサルもいる。




丹沢の6月から7月は 特にヒルが多い



ちょっと 山に入ると いつの間にか 靴下にヒルがついていたりする(靴下についていた2cmほどのヒル)


丹沢を登るときは、あらかじめ 塩水を作ってスプレー瓶に入れてあるので(予防にも退治にもなる)


そのヒルにかけたら ヒルのやつは悶絶してグハっと  血を吐き出して辺りが血だらけ・・・


頂上では二人の両足を合わせて 6匹のヒルがついていた

丹沢のヒルは靴下の上からでも結構 血を吸う。

中には気づかないうちにスパッツに入っているやつもいて、いつの間にかこんなことになっている。




「スタンドミバイミー」みたいー



ヒルに噛まれた後は
2週間経っても 痒さがぶりかえして 傷口もなかなかふさがらない、噛まれた傷口も大きくなっていく。




ところで、 来月の北海道ツーリングに向けて

セローのローーダウンを試みた。



リアタイアの前にあるこの骨みたいな 部品を変えるだけ



どんな仕組みかはよくわからないが このパーツを ちょっと長めのこっちに変えると車高が3cmほど低くなるらしい


担当は お馴染みの 「T`sガレージ」のトヨピー





さてさて、その 効果は

 
改変前

足つきに注目して↓



改変後↓


べた着き!?




いや~、3cmってスゴイ!
まるで 違うバイクみたい!はじめは 3cmなんて いくらでもないだろうとタカをくくっていたけど、

この経験したことのない ベタ着き感!

私の身長は159cm。たぶん日本女子としたら 極めて標準的な身長だと思う。でもセローもその前に乗っていたSRXもVTも
足がベタ着きになることはなかったの
はじめてハイヒールを履いた時の 衝撃を同じくらいの世界観が変わった!






ところで パート2

来月は いよいよ 久々のぉ~

北海道ツーリング! 和琴ミーティング 30周年だ! 

いそいそ ワクワクして 最新のツーリングマップ 北海道2019を購入!



いやいや、30年まえの 「TM 北海道」って・・

 縮尺は1/28万 サイズはB6

(ちなみに 今のTMは 縮尺1/20万 サイズはA5)


こんなだったのよ、表紙も大きさも違うし 何故か当時の地図は 右開きなんだよ



内容も (TMのいいところはいいところは 実走に基づいたレポートのようなコメントだけど、 コメントも少ない!)

これは 1990年

蛍光ペンで色がついているのは自分で実走したところ、 「パンケニコロベツ林道」は名前もついていない白線だった。



こっちが 今年の
 
パンケニコロベツ林道もペンケニコロベツ林道も 名前がついてオススメ林道として紫色の道になっている




私は、こーみえても(どー見えて?) 結構マメなところが随所にあるのだ。

毎年 北海道ツーリングのことを ノートに収めていた(1990年~1998年くらいまで)


計画や出発前の友人のコメント チケットや箸袋を貼ったり その日の出来事 感想 収支をせっせと書き込み

出会った人たちからコメントをもらったり 住所をもらったり、その日ピースサインを交わしたライダーの人数とか(ホッカイダー全盛期はには一日100人も当たり前だった)



タイトルは「誰もが北へ向かう夏19××」 これは当時のバイク雑誌 アウトライダーからパクったもの

何年んかぶりの北海道ツーリングを前にこのノートを読み返して また行きたいとこや懐かしいところ 行けなかった所、新しい所を確認しておこうと思った。

和琴半島 30周年ミーティングが今回のメインイベントだけど、
ちょうど 私の勤労30年の永年勤続でいつもより長い夏休みがもらえるので、たっぷり北海道を堪能するつもり 

1990年は初めて北海道にバイクで行った年だ。

それまでに 家族旅行や電車では 北海道に行ったことがあったけど、

初めての北海道ツーリングは

1990年

7月27日~8月4日 (+2日で8月6日) 11日間  (走行距離2550km)


当時 乗っていいたのは ホンダのVT、一緒走ったのは 高校時代からの親友のみどり 彼女のバイクはカワサキGPX



いや 恰好や様子が昔だけどね ソバージュに太めの眉ですね


とにかく 初めてバイクで走る北海道は 何もかもが新鮮で感動的で衝撃的で驚嘆と歓喜の連続

道がまっすぐなだけで こんなに感動するものなのか、草原の広さや空の高さ、星空の美しさ、そして何を食べても美味しい。

ライダー同士なら 出会った瞬間から仲間!という北海道ならではの連帯感、すれ違うときのVサイン。


この年は観光地を巡る 正統派の北海道ツーリング、宿泊も民宿とかライダーズハウスだった。

カメラはまだデジカメですらないので 写真はあまりたくさん残っていない

苫小牧から 富良野 美瑛 旭川 層雲峡 美幌 屈斜路湖 摩周湖 斜里 知床 根室 釧路 帯広 日勝峠 占冠 富良野



あらかじめ決めていたわけではなく、行き当たりばったりでこんな風に回った。

宿も夕方くらいになったら、ちかくの町をみつけて 観光協会に探してもらったり、駅があれば看板の案内を探して電話したり、

公衆電話にある電話帳から 泊まるところを探したりした。携帯もネットもないのに それでも「今日泊まるところない!」

なんて事態にはならず、なんとかなっていた。
  

初めての北海道ツーリングは とにかく寒かった。

雑誌などの情報から 半袖で青空の下を走る様子を想像していたが、

どこに行っても 気温は20℃に届かず、毎日寒かった。

十勝平野で、 自分のイメージで撮った写真。 ノースリーブなんて 絶対あり得ない寒さだったのでこれは撮影用だろう。




初めてライダーハウスというのにも泊まった

斜里の「じゃがいも亭」


じゃがいも亭は この牛舎の中で 焼酎の麦茶割りが飲み放題だった。

夜中までみんなで飲んで騒いで、


知らないもの同士が集まり、バイクや北海道のことについて語る。

当時はネットがないので、旅の情報や観光の案内などこうしたクチコミが貴重な情報源なのだ。

じゃがいも亭の 酋長こと福岡の 大川くん 元気かなぁ


「じゃがいも亭」で知り合った 迫ちゃんに教えてもらって 斜里の国道のはずれにある、ダートの丘にみんなで行った。

(ちなみにこの時一緒に斜里の丘に行った 迫ちゃんは名古屋の迫田さんだが、6年後ぐらいに浜名湖SAで知り合いになった
女性ライダーの 地元のライダー友達だった!それと 同じく一緒にこの丘を走った BAJAの知世ちゃんは2年後に和琴で再会
今回の和琴ミーティングの メンバーだ、北海道ライダーは案外 こんな事が多くて ライダー仲間の知り合いは知り合いだった。
みたいなことが 何度もあった。)
 




ね、すごいでしょ? 地平線の彼方まで 真っすぐに伸びた道。

ここは この後 北海道に行くたびに寄った「とっておきのポイント」だったが


今回の ツーリングのために、購入した 北海道ツーリングガイドで 巻頭カラーで紹介されていた。 


苦労して上がった ガレたダートだったが、舗装されている・・・・うれしいような 悲しいような。。。

名前もない ダートのどん詰まりだったが、今年のTMには 「展望台」とオススメマークまでついていた・・ 


この1990年の 帰還は大変だった。

フェリーに乗船して苫小牧から翌日には東京有明に着くはずだったが、折しも 台風10号が直撃して、船はしばらく青森に停泊したあと翌日には苫小牧に戻って来てしまった。

みどりはまだバイクに乗り始めたばかりなので、「とても自走では帰れない」と 言うことで バイクは船便で贈る手配をして電車で帰ることにした。

私は「 なにがなんでも走って帰るぞ!」と意気込み 苫小牧から 青函連絡船の 函館を目指して走り出した。

しかし、想像以上に函館までの道のりは遠く、(300kmくらいあった・・・)夜も更け、国道なのに 街灯もない。

前にも後ろにも車1台もない。

果てしない 道が続く。霧が出て 寒くなり泣きたくなるほど心細くなってしまう。いつまで続くのかわからない真っ暗な道だった。

それでも夜10:00すぎにやっと函館のフェリーターミナル 着いた。

青函連絡船 フェリーの予約はしていなかったので、キャンセル待ちとなる。2時間に1本くらい出ていたと思うが

それから5時間待っても 自分の番号は呼ばれず、眠くて辛くて しょんぼりしていた。

他のキャンセル待ちの人が ベンチを占領して横になっているので 道路わきに座っていると 次の4:00の便に乗る予定の

栃木のGPZ750のライダー がキャンプマットを敷いてくれて半分どうぞと分けてくれた。

「4:00の便はキャンセル待ちをしなくても 乗れますよ」と、受付の人に言われていたので そのころ窓口に行ったら「もう ダメです」

と断られ、「6:00に予約を入れなおすように」と言われた。 

栃木のGPZの彼は 6:00の便になる私を青森で待っていてくれると言った、長い東北道を一緒に走ってくれるというのだ。 

マットも次の便が来るまで使っていてと。

感謝の気持ちでいっぱい!なんていい人なんだ!

GPZが乗船してそのまま 路肩に座っていたら、 目の前をチャリのオジサンが通りすぎた

「何時の便に乗るんだ?」

「6:10」

「いや、4:00の便はまだ 空きがあるはずだぞ。」といって 事務所に聞きに行ってくれた。どうやら関係者らしい。

なぜか 事務所を通さず 「こっちから乗れ」と乗船口まで誘導してくれた。

「え?お金払ってないよ?」 って言ったら 「じゃ3000円」っていうので 直接おじさんに払って乗せてもらえた。

たしか 正規の料金より安かったと思う。 密航かもしれないが おじさんに感謝!

GPZの彼とは東北自動車道を 青森から那須まで一緒に走ってくれた。朝9:00ごろ青森を出発。


 私のペースに合わせてスピードも控えてくれた(250ccのVTと750ccのGPZでは

さぞかしフラストレーションがあっただろうに・・・・)それからSAごとに休憩をとってくれた。

ICの合流の手前では 合流の車がいなくても必ず右車線に移動する。

青森から 那須高原まで560kmを一緒に走ってくれた。 前の日にすでに300km走っていて、一人での 東北道はさぞかし辛かっただろう。(この頃は まだ車がチェーンだったので、轍が深いの)

ライダーの人はわかると思うけど、バイクって人に付いていくのって 一人で走るよりもすごく楽なんだよね。

ほんとに感謝 感謝です
 
別れ際には もう日も暮れていたが、最後に記念撮影。


黒磯市のGPZ750の ケンさんです。

ほんとうにありがとうございました!

結局、無事に町田の自宅に着いたのは 翌日未明の1:00ごろ、

苫小牧を出たのが5日の16:00ごろだったので33時間かかって 1000kmの道のりをやっと戻ってきたことになる。


1991年は 

8月2日~8月11日 走行距離1600km


‘90年のみどり に加えて ‘91年はAX-1のがんじと3人旅



釧路 厚岸 霧多布 根室 納沙布 多和平 斜里 知床 カムイワッカ 網走 紋別 稚内 宗谷岬 サロベツ 深川 北竜

富良野 美瑛 日高 支笏湖

前年とおなじく 観光っぽいツーリングで 相変わらず宿も 民宿やライダーハウスだった




あいかわらず 寒い日ばかりで 雨ばかり・・・・


じゃがいも亭にも モチロン行った。

顔見知りの連泊者も何人か・・・

さっきの斜里の丘にも もちろん寄った、当時はただの丘の頂上だった



宗谷岬とか、観光っぽいけどね


最後の2日は 3人バラバラにそれぞれで走った。

一人で走った方が見えてくる景色もちがって また おもしろい。




当時の 小説で

佐々木譲の「振り返れば地平線」 


まだ 開陽台が 開陽台という名前もついていない頃、ライダーが「8月の開陽台に集まり満月を見よう」
と約束して 北海道を走るというバイクの小説です→この小説で 開陽台が有名になり 当時は観光スポット、ライダーの聖地となった
今では、どうなっているだろうか・・

この小説と今回一緒に走った がんじの四国お遍路ツーリングの話に感化されて、

「よし、私も来年は 北海道をキャンプでツーリングするぞ!」決めた ワケです

翌年から 北海道キャンプツーリングとなりまーす。


 

日高 沙流川の河口にある フエハップ海浜公園。
私とがんじはよくケンカをしたので、 あらかじめ 「ケンカ別れをしても いいように集合場所を決めておこう」と、
きめたのが 地図上で「フエハップ海浜公園」だった。  案の定、ケンカして プイ、と別れた。
行ってみたら 全然公園ではなく 看板もなく、   でも落ち合うことはできた。
 「コレじゃわからないよね~ 」とゲラゲラ笑った。




じゃ、次回は 私の人生の最大イベント 1992年の北海道ツーリングのクロニクルね~











。。





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